芸術における止揚が問題となる
芸術と科学はどのように止揚─昇華と関わっているのだろうか?両者はともに止揚ー昇華に関わっている(すなわち両者はともに現実における直接的に生きられた経験への没入ー頽落との隔たりを造りだしている)が、その様式について言えば、異なっている。 科学は止揚をもたらす抽象の過程を果たしているが、この過程では性化された身体の生きられた現実はまったく取り除かれ、現実は純粋な外延、抽象的な空間へ配分された事物に還元されている。科学にとって数式という表現を与えることができる抽象は、したがって、<現実的なこと>との唯一の接触である。そこでは、現実と<現実的なこと>は、身体の生きられた具体的な経験と抽象的な(最終的には意味のない)数式に表現される定式との対立として、措かれている。芸術は、科学とは対照的に、生きられた現実の内部に留まっている。芸術は、断片や対象を生きられた現実から伐り出し、それを「<物>のレヴェル」にまで高める。こうした手続きの零レヴェルとして、デュシャンの<レディ・メイド>の芸術を思い起こして欲しい。デュシャンは芸術の対象として便器を展示したが、そうすることで、その物質性を<物>の現象形態へ「変質させ」たのだ。(いかなる意味でデュシャンの便器は創造的行為を表現しているのであろうか? (more…)
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