だが、なぜ引用なのか。引用について考えること、それは読むことについて考えはじめることだ。読むとはアルケー、一なる全体、《本》 へと送りとどけられることではない。それは逆に還元不能な複数性、くりかえしと差異について考えることだろう1 。
- 芸術家たちが、これほどまでにしばしば革命的政治へと引き込まれていったのはなぜなのか
- ニューヨークはモダンアートの理念を盗んだのだ
- 飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か
- おそらくここに、現代芸術の秘めている危険性の第一の理由がある
- 進行する限りにおいて完成され続ける純粋なる<過程>
- 遊離した創造は嫌いだ
- 芸術論の可能性の枯渇の期日を新たに設定することに耐えなければならない
- 新しい生を創造することができなければならない
- こうした管理が革新や経済発展を阻害する
- 美学のパラダイムに向けて漂流すべきなのです
- そして民衆こそ最重要事項だ
- 芸術はつねに幻想への距離に依存する
- 芸術における止揚が問題となる
- この世が恐怖に充ちていればいるほど、芸術は抽象的となる
- あるがままの創造的表現が最優先される再特異化の時代
- 自然と歴史的現実とをラディカルに変容させる能力としての生きた労働
- 神も動物も具えている「優美」が人間だけに欠けている
- だが、なぜ引用なのか
- 宮川 淳『引用の織物』 筑摩書房 1975年 [↩]