芸術論の可能性の枯渇の期日を新たに設定することに耐えなければならない
現代の芸術家は二つの様式によって沈黙を擁護する──声高の様式と静かな様式と。
声高の様式は、『充満』と『真空』の不安定なアンチテーゼに関する機能である。充満についての感覚的、陶酔的、超言語的理解が脆弱であることは周知のことだ。充満は、わずか一瞬にして崩れ去り、否定的沈黙の真空の中に突入することができる。危険をあえて冒しているということを十分承知の上で(精神的嘔吐について、さらに狂気についての危険)、この種の沈黙の声高の擁護は、逆上した、一般化しすぎたものとなりやすい。それはまた、しばしば黙示録的であり、あらゆる黙示録的思考の侮辱に耐えなければならない。すなわち、終局を予言すること、その日が来るのを見、その日を生き延び、そしてさらに、意識の焼却、言語の決定的な汚染、芸術論の可能性の枯渇の期日を新たに設定することに耐えなければならない。 (more…)
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