自然と歴史的現実とをラディカルに変容させる能力としての生きた労働
芸術もまたこのような世界のただなかに存在しているのだということ、このことも、ぼくは感じ取っていました。事実、ぼくを取り巻いていた世界が、いわば、産業的生産で溢れ返っていたために、そして、ぼくの触れるものすべてが、たとえばくにとっては自然的で具体的に思われたにしても、じっさいには、製造されたものであり抽象物であったために、芸術もまた、この同じ地平の内部でしか動くことができなかったのです。資本主義的かつ産業的な生産様式によって構築されるものには、もはやほとんど「外」が残されていなかったために、芸術を把握し考えることができる場は、その「内」においてのみのことだったのです。それまで具象物(フィギュラティヴ)であった芸術について、それが抽象的なものになったと言うのは、ありきたりのことでした。起こりつつあったことは、とりわけ、芸術の生産様式が、さまざまな職人的実践と物象化した想像力(イマジネーション)[構想力]とによって、平坦的なものになり、資本制生産様式の猿真似をしているということだったのです。参照されるべき自然モデルも、題材とすべきイマージュも、もはやありませんでした。造形する[figurare]ということは、いまや、生産するということを意味するようになったのであり、また、自然は、すでに変形されたかたちでしか、その姿を現しえなくなったのです。すなわち、モンスター(奇怪でありながらも驚嘆すべき事物)、自然やさまざまな自然物形象(フィギュール)への追加や増加や人工補綴(プロテーゼ)、異種交雑、拡散、さまざまなパフォーマンス‥‥‥といったものの生産。芸術は、それ以来、さまざまな社会的構築やコミュニケイション的構築からなる未分化の多様体の内部へと傾斜していったのです。芸術は、ぼくたちみんながそのなかで行動している商品世界の一部となったのです。問いは、したがって、次のように改められました。すなわち、このような世界の内部において、芸術は、芸術家は、美を生産する活動は、いかにして行動しえたのか。文明史において、近代が終わるまでは、芸術的想像力(イマジネーション)[構想力]の大部分は、<現実的なもの(リアル)>を表現するということに存していました。しかし、いまや、現実的なものなどもはや存在せず、あるいはむしろ、現実的なものが存在するのは、あくまでも構築物としてもことであり、自然としてではもはやなく、加工されたものとしてのことなのです。生きた抽象物というものが問題となっているのです。その内部でいかに行動するのか。また、芸術的なものとして提示される対象(オブジェ)が、ときとして、ほんとうに美しかったとすれば、いったいそれはなぜなのか。
ボキャブラリーの問題なのか。単なる語彙上の問題なのか。話をまとめておきます。自然的なもの、具体的なもの、抽象的なものは、互いに混ざり合っているように思われます。そして、抽象的なものは、その元となるイマージュがそうであったのと同じくらい、自然的(ナチュラル)なものであるように思われます。したがって、抽象的というものは、n乗の自然物のことなのです。ぼくたちの周りにあるものは、いったいなんなのか。ぼくたちがいまだに「自然」と呼んでいるものは、いったいなんなのか。ぼくがポー川流域の風景を眺めるとき、あるいは、ブルゴーニュの風景を眺めるとき、自然は、人間の働きかけ(アクション) と労働とによって非常に洗練化されたものとして、ぼくの眼の前に立ち現れるため、それらの輪郭や地平がなおも自然のものなのか、それとも、人間によって変形された自然と同じように抽象的なものなのか、もはやぼくにはわかりません。しかし、ぼくたちの自然に対する考え方の囚われている枠組がそのようなものだとするならば、また、変形された自然としてしか、すなわち、人間の働きかけ(アクション)の人工補綴(プロテーゼ)としてしか、自然を認識することができないとするならば、さらにまた、芸術そのものが(人間の営み(アクティヴィティ)の一部であるという資格において、そして、この人間の営み(アクティヴィティ)と元のモデル)とを結んできた関係を示す特権的なシーニュであるという資格において)この抽象的装置に含まれているとするならば、ぼくたちが芸術というものを考察しうるのは、人間の営み(アクティヴィティ)という観点からのみのことであり、ぼくたちが美を評価しうるのも、人間の働きかけ(アクション)という観点からのみのこと、すなわち、自然と歴史的現実とをラディカルに変容させる能力としての生きた労働という観点からのみのことだということになるでしょう。
芸術的経験──一九八八年にぼくが推論していたことに従えば──は、労働の諸々の変容様式についての分析へと、ぼくたちを導いてくれるものです。労働は(一九世紀と二〇世紀との全般にわたってずっと)ひたすらにその抽象性を増し続けてきました。しかし、労働は一九六〇年代を境にして、新たに、特異化[singolarizzarsi]しはじめることになったのです。労働は、とりわけ、知的で非物質的で情動的な労働として、すなわち、さまざまな言語活動や関係を生産する労働として特異化してきくことになったのです。ひとつの時代の移行(近代からポスト近代への移行)は、労働の変容(労働価値のマス化された抽象化から、労働の表現的潜勢力の非物質的な特異化への変容)のなかで、実感されるものだったのです。芸術が商品世界のなかに浸かりきっているということに、ぼくはもはやショックを受けませんでした。というのも労働もまたそうだからであり、労働もまたそうである以外にないからです。芸術は圧縮されたこの世界の内部にあり、また、この世界は資本主義の手中に囚われており、さらに、そのことが精神的スキャンダルや倫理的閉塞感を引き起こしてきたということ、このこともまた、ぼくにとっては、恐ろしいものではありませんでした。あるいはむしろ、ただたんに恐怖だけを呼び起こすものではなかったのです。というのも、まさにこの内部においてこそ、すなわち、この恐怖との対決、商品の圧倒的暴力との対決においてこそ、芸術家の生きた労働は、ときとして、美の様相を呈してきたからです。そうだとしたら、この美はいったいなんなのか。それが美の可能性によってつねに発明され続けるものであるとき、芸術とはいったいなんなのか。芸術とは、すでに述べたように、労働であり、生きた労働であり、したがって、特異性[singolarità]の発明であり、さまざまな特異的形象やオブジェを発明することであり、言語表現であり、さまざまなシーニュを発明することなのです。ここにこそ、すなわち、この第一の移行にこそ、行動する主体の潜勢力[potenza]があるのであり、世界を再発明するにいたるまで認識を深めるその能力があるのです。しかし、第二に、この表現行為が美や絶対に達するのは、あくまでも、それが自己表現する際の諸々のシーニュや言語が共同体をなすときだけ、すなわち、そうしたシーニュや言語がひとつの<共>的プロジェクトのなかに含まれるものとなるときだけなのです。美とは、世界の構築に参加する諸々の主体からなる多様体のなかで流通し<共>として姿を現す特異性を発見することなのです。美とは、想像することではなく、働きかけ(アクション)と化した想像力(イマジネーション)[構想力]のことなのです。芸術は、この意味において、マルチチュードなのです。
トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社 2007年
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