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2015/4/6 月曜日

そんな話し方をするのは、われわれのブルジョア的・実存主義的ロマンチシズムにすぎない

Filed under: 引用 — nomad @ 18:21:29

indexところで、グラフィティの革命的本質を骨抜きにしようとする二種類の対応(警察の弾圧は別にして)を分析すれば、グラフィティとはいったい何なのかがよくわかるはずだ。
(一)グラフィティを芸術として認める立場。――ジェイ・ジェイコックス、「抽象的表現主義の千年王国待望的・コミューン指向的かつ非エリート的で素朴な形態」。あるいはまた、「地下鉄の電車がうなり声をあげてつぎつぎと駅を走り抜ける。まるで何人ものジャクソン・ポロックが、芸術史の回廊を、叫び声をあげながら駆けまわるように」。こうして「グラフィティ・アーティスト」や若者の創造する「民衆芸術の噴出」が話題となる。「これは七〇年代を特徴づける重要な運動のひとつとなるだろう」等々。変わりばえのしない審美的解釈だが、これこそは、現代の支配的文化形態そのものである。
(二)自分のアイデンティティーや個人的自由やノン・コンフォルミスムの主張としてグラフィティを解釈する立場(これがいちばん好意的な解釈だ)。「非人間的な環境のなかでも破壊し得ない個人の生きざま」(ミツィ・カンリフ、『ニューヨーク・タイムス』紙)。要するに、個人を抹殺する大都市での欲求不満というわれわれの感情から生まれたブルジョワ・ヒューマニズム的解釈である。またしてもカンリフ――「それは語る〔グラフィティは語る〕、おれはいる、生きている、おれは現実だ、おれはここに生きた。それは語る、キキ、デューク、マイク、それにジーノは生きている、やつは元気で、ニューヨークに住んでいる、と」。なるほど結構なことだ。われわれはみなかけがえのない、だが理解されない存在なのに、都市によって粉砕されてしまったというのだ。しかし「それ」〔グラフィティ〕は、そんな話し方はしない。そんな話し方をするのは、われわれのブルジョア的・実存主義的ロマンチシズムにすぎない。ところが、〔グラフィティの作者である〕黒人の若者たちは、守るべきパーソナリティなどもちあわせてはいない。彼らは、なによりもまず、共同体そのものを守ろうとする。だから、彼らの反逆は、ブルジョア的アイデンティティーと匿名性にたいする異議申し立てだ。クール コーク スーパートラット スネーク ソーダ バージン――〔カスター将軍を倒したあのインデアンの〕スー族風のこの連禱、匿名性をひっくりかえすこの呪文、白人世界の首都の真只中で象徴的爆発をくりかえすこの変名の響きに、今こそ耳を傾ける必要があるのだ。

『象徴交換と死』 ジャン・ボードリヤール 今村仁司・塚原史 訳 筑摩書房 1982

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