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2013/1/22 火曜日

ぼくたちは今になってようやく、芸術が現実へと翻訳されることによってもたらされる真の意味を理解できる

Filed under: 引用 — nomad @ 2:21:25

創造的運動と生産的労働

商品の詳細 そういうわけで、毛沢東=ダダイズムの仮説によると、ダダイズムの旧式のユートピアを現実化するのは、コミュニケーションの発達、ポスト工業が引き起こすテクノロジーの発達、そしてコミュニケーション・ネットワークの広がり(当時、自由ラジオのなかにその適用と実験の最初の例が散見されていた)といった現象に他ならないのだ。こうしたかたちで、芸術が廃棄され、日常生活が廃棄され、芸術と日常との分断が廃棄されるというわけなのだ。
 まさしく、その基底をなす増殖する数々の主体からすれば、浸透力があり中心をいくつも有するコミュニケーション技術の広がりを通じて、その目論みは実現可能かつ実践可能なものとなっていたのである。
 多くの人たちを巻き込んだ運動によって、この直感は生み出され、とてつもなく自発性主義的なやり方で、現実へと翻訳されはじめた。しかしその逆に、その問題についてきっちりと考察を行う必要性を引き受けた人は、わずかであった。なかでも、マウリツィオ・カルヴェージは『大衆前衛』という本のなかで、77年運動を、芸術的前衛という企てと、テクノロジーによるコミュニケーションを用いた大衆の実践とが連接される契機として考察していた。
 ところが、この過程の意味を、単なる技術の発展による産物に切り縮めてしまう人たちもいた。彼らにとっては、それは何の計画性もない言語をつくり出しているにすぎないのである。
 たとえば当時の論争のなかで、ウンベルト・エーコは、運動は自らの志向性を、ほとんど自覚をもって意識できていないという主張を試みた(この論争は後に『焦燥の7年間 [Sette anni di desiderio]』という本のなかに収められて再出版された)。エーコは、それを単なる社会学的・技術的な事実として解釈するために、創造的運動の生産的かつ自律的なポテンシャルを取り消そうとしたのである(この点に関連して、1977年4月の『ア/トラヴェルソ』誌に掲載された論文「アリーチェ──偽善か共感か」を本章の付録として引いておこう)。
 しまいには、次のように言う人たちもいた。運動のなかには、歴史的な過去の前衛、とりわけ未来派の非合理主義的特徴が再度出現しているにすぎない、と。なかでも、アルベルト・アゾル・ローザだ。運動のなかには「19世紀指向」(ようはネオ・ファシスト)が現れているとみなす図式が、共産党寄りの知識人のなかに当時広く流布されていたが、アゾル・ローザはこの図式にしたがって、新しく生まれていた創造性と武器を用いた暴力とを同一視していたのだ。
 あれから何年もたった今、これとよく似た図式を採用した人たちについてあれこれ推論するのは無駄なことだろう。だから、次の事実を観察するにとどめておこう。それは、大衆の「新未来派」を侮辱し、それに反発していたすべての人たちが、今日、ジャンニ・アニェッリによって再び推進された未来派芸術型のヴェネツィアにあるパビリオンに入場するために、列をつくって並んでいるという事実である。
 毛沢東=ダダイズム(いくつかの新聞は、それを運動が有する「創造的翼」と定義していた)が表現したのは、前衛によって唱えられた言語の断絶が広く流布されたこと、新しいコミュニケーション技術によって、社会生活にもたらされていた肯定的なポテンシャルが自覚されたことに他ならない。
 それゆえに、毛沢東=ダダイズムが表現したのは、芸術のなかに生をもたらし、生のなかに芸術をもたらすという前衛主義者たちの意図が実現されたということなのである。
 たとえ「運動は大衆のデモのレベルで敗北した」、あるいは「テロリズムが出現したせいで敗北した」と考える人がたくさんいるとしても、現実には間違いなくこの領域、つまり芸術と生が関係する領域、コミュニケーションと生産が関係する領域において、運動は真の敗北を喫したのだ。(この敗北によって新しい世代との断絶が生み出されたために、80年代に創出された数多くの言語のなかに集合的連帯という価値を翻訳できなかったのである)。
 毛沢東=ダダイズムが突き止めたのは、根源的な問いが賭けられていた領域、つまり芸術を現実へと翻訳することに関する領域だったのだ。
 とはいえ結果としてみてみれば、芸術は確かに現実へと翻訳されたのである。しかし、その翻訳のあり方というのが、当時考えられ切望されたあり方とは非常に異なっているようにみえる。それはつまり、芸術の現実への翻訳が、テレビ、広告、知の軍事利用によって成し遂げられてしまったということなのだ。現実は、諸々の記号が自ずと社会的なものを創出する流れへと変化する場所となったのだ。しかし、これはどのような記号なのだろうか?どのような流れなのだろうか?
 ぼくたちは今になってようやく、芸術が現実へと翻訳されることによってもたらされる真の意味を理解できる。価値の生産過程のなかへ創造力が漸進的に包括されていく事態、想像的なものを生産する全体主義的機械によって、創造的なものが吸いあげられていく事態に直面してようやく、ぼくたちはその意味を理解できるのだ。それはすなわち、生産過程が変容する、脱物質化する、精神化するという意味である
 これが、ボードリヤールやペルニオーラが「シュミラークル社会」として定義する移行=転換の意味だ。
 ぼくに言わせれば、マリオ・ペルニオーラは、後期資本主義の変容過程のただ中にあった世界のなかで、芸術的前衛がもつ意味を的確に把握できていた唯一のイタリアの哲学者である。
 1972年の本(『芸術的疎外 [L’alienazione artistica]』)のなかで、彼は芸術と生の分断という点から、歴史的前衛の問題構成について明確に述べていた。彼によれば、前衛が否定し拒絶するのは、経済(現実)領域とシニフェ(芸術)領域との堅固な分断状態である。そして前衛は、ダダイズムの経験のなかで、この分断を根源的なやりかたで克服しようと目論むのだ。ペルニオーラも参加したことがある「シチュアシオニズム」は、資本主義が成熟した時代において、ダダイズムのねらいが有する政治的現実性を十分に意識したものであった。しかし、シチュアシオニズムによって目指された芸術と生の分断を克服する方法は、ダダイズムのねらいとは、まったく似ても似つかぬものであった。まさにこの点において、ペルニオーラは、前衛が消え去ってしまう状況を説明する。このような消失は、逆説的なかたちで前衛が勝利したこと、つまり逆説的なかたちで芸術が現実へと翻訳されてしまったことと不離一体なのである(『シュミラークル社会 [La società dei simulacri]』)という名を冠した1981年の本のなかで)。
 68年に「権力への創造力」がうたわれたときに、前衛が有する行動計画の核心が取り戻されたはずだった。
 しかしながら、現在の非物質的生産の世界では、想像的なものによって、想像力を麻痺させるような支配が生み出されている。想像力はこのようなかたちで権力のほうへと向かっている、ただ権力の場所にのみ存在しているのである。権力とは、技術と経済によって吸いあげられてしまう想像力のことなのだ(想像力は広告・テレビ・軍事を介して、恐怖・不況・パニックを介して吸いあげられた)。
 想像力は、こうして想像界のなかで麻痺している。想像界は自らの姿に似せて、個々人の想像力をも形づくっていく(個々人の想像力とは、たとえば、期待、モチベーション、投影といったことだ。最近の分析では、実践、行為、振る舞い、そして存在のあり方といったことまでもが含まれている)。しかし、商品の支配下へ創造的エネルギーを従属させるには、創造活動を空にする過程、その具体的な質や意識をゼロ化すること、創造の形式を中身のない抽象的な労働奉仕へと切り縮めてしまうこと、こういった作業が必要になる。
 イタリアではこのゼロ化が、ある文化政治を通じて成し遂げられた。この文化政治によって、77年の遺産はきわめて表層的なかたちで摘み取られ、市場と権力へ依存する命運のほうへと差し向けられることになったのである。
 この文化政治は、はかなさの詩学と同様のものである(もっと一般的にはトランスアバンギャルドのような、ここ10年ほど繁栄している様々な文化表現のなかに見出される)。
 この表層への信仰によって、創造力とその深層にあるポテンシャルとが分断されてしまった。その結果、創造力にあふれた社会活動の領域は、社会を生きいきさせよう、人々に気分転換させてあげよう、そして次第に、空の空間(いわゆる自由時間)のために商品を生産しよう、といったことへと改変されてしまったのである。
 はなかさをめぐる文化政治というのは、いかがわしいものだったのである。そうしたなかで、左翼の政治家連中はこの表層性に対して戸惑いをみせ、創造力の爆発が有した意味と潜勢力を理解できない無能さのせいで、イタリア共産党が文化の面で混迷状態にあることを自ら立証していたのである。まさにこのような左翼の政治が、大衆文化をシニシズムのほうへと明けわたしてしまったのだ。シニシズムは、80年代のクラクシの政治的転回のなかで、完成され勝利を挙げることで、広く行きわたる社会的態度となる。文化は、市場と新たな富裕層のために捧げられるものとなる。何かを深く探求することは、無知のせいでしつこく嘲笑されつづける。論理的一貫性は、傲慢さのせいで踏みにじられる。洗練された美学は、卑俗さによって激しく打ち倒されてします。
 このような移行を通じて、創造力にあふれた知性がメディアのたわごとに従属する前提条件がつくりだされていったのである。芸術的な探求や実験を行うのではなく、創造力に満ちた緊張状態を空にするために、たくさんの出資金が割り当てられるのだった。このようにして、コミュニケーションや芸術上の実験を行ってきた大衆の原動力を、情報を扱う大資本によって管理運営され吸いあげられたメディアの生産に従事するオペレーターへと、改変することができたしだいである。

フランコ ベラルディ(ビフォ)『NO FUTURE―イタリア・アウトノミア運動史』
洛北出版 2010年

2008/6/9 月曜日

芸術家たちが、これほどまでにしばしば革命的政治へと引き込まれていったのはなぜなのか

Filed under: 引用 — nomad @ 22:38:47

前衛主義の思想史

芸術家たちが、これほどまでにしばしば革命的政治へと引き込まれていったのはなぜなのか前衛主義的習慣から社会理論を切り離すことは、難しい仕事のように見えるが、それは、近代の社会理論と前衛という考え方が多かれ少なかれ一緒に誕生したからである。他方、芸術のアバンギャルドという考え方もそうなのであり、この三つの関係それ自身が、いくつかの予期しなかった可能性を示唆している。

アンリ・ド・サンシモンは、彼の生涯の最晩年に書いた一連のエッセイのなかで「アバンギャルド」という用語を作り出した。彼のかつての秘書であり弟子であった人(そして後に厳しいライバルとなったオーギュスト・コント)のように、サンシモンは、フランス革命のすぐあとに筆を執り、何がいけなかったかを根本的に問うていた。すなわち中世の封建主義的カトリック社会から近代の産業的民主的社会への移行が、これほどの激しい暴力と社会的混乱を作り出したように見えるのはなぜかと。問題は、全体的な社会秩序のなかで意味ある位置を占めているという感覚をあらゆる人びとに与えていた中世の教会と同じような役割を果たすイデオロギー的凝集性の力を近代社会が持っていないことにある、と彼は結論づけた。サンシモンとコントは、彼らの生涯の終わりに向けて、最後に彼ら独自の宗教を作り出すことになったが、サンシモンは自分の宗教を「新しいキリスト教」、コントは「新しいカトリック」と読んだ。前者においては、芸術家が究極の精神的指導者の役割を果たすとされていた。科学者との想像上の対話のなかで、サンシモンは、実現可能な未来を想像し公衆を鼓舞するという役割を果たすことで、アバンギャルドの役割、すなわち彼の言う「真に司祭的な機能」を果たすことができるのだと説明する芸術家について述べている。彼の理想とする未来では、芸術家は思想を孵化させ、そしてその実行は科学者や実業家に任せることになる。おそらくサンシモンは、「国家の死滅」という観念を思いついた初めての人であった。権威的機関が公衆の善のために働くことが一度明らかになれば、患者を医師の助言に強いて従わせる必要がないのと同じように、公衆をそれら機関の助言に強いて従わせる必要も無くなるというわけである。政府は、せいぜいいくつかの取るに足らない警察的機能に縮小されることになるだろう。
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2007/11/19 月曜日

ニューヨークはモダンアートの理念を盗んだのだ

Filed under: 引用 — nomad @ 14:42:31

<帝国>  グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 二度の世界大戦において、米軍が二度ヨーロッパを救ったという軍事史と、政治的・文化的にヨーロッパを救ったという事態は並行している。財務・経済・軍事構造に基盤を置いたヨーロッパに対するアメリカのヘゲモニーは、一連の文化的・イデオロギー的活動をとおしてごく当然のものとみなされるようになった。たとえば、第二次世界大戦終盤の数年間に、芸術の中心的産地とモダンアートの理念がパリからニューヨークへとどのようにして移り変わったかを考えてみよう。セルジュ・ギルボーは、次のような魅力的な物語によって、いつ、いかにしてこのような移り変わりが生じたかを描き出してみせた。これは、パリのアートシーンが戦争とナチによる占領で混迷し、戦後世界におけるアメリカの指導的役割を促進するイデオロギー的キャンペーンのなかで、ジャクソン・ポロックやロバート・マザーウェルのようなニューヨークのアーティストによる抽象表現主義が、ヨーロッパの、もっと絞るならパリのモダニズムの自然な継続であり継承者であるとして確立された、その過程についての物語だ。すなわち、ニューヨークはモダンアートの理念を盗んだのだ。

アメリカのアートは、こうして、長期にわたる後退不可能な抽象への論理的な頂点を極めるものとして描き出された。アメリカ文化が国際モデルの地位にまで引き上げられるや、アメリカに特徴的なものの意味合いも変化を迫られた。つまりいまやアメリカに特徴的なものが、「西洋文化」総体を代表するものとなったのだ。このようにしてアメリカのアートは特定地域のアートから国際的アートへ、そして普遍的アートへ……と変容したのである。この点で、戦後アメリカ文化は、アメリカの強大な経済力や軍事力と同じ立場に置かれたのである。戦後アメリカ文化もまた、「自由」世界における民主主義的自由を守るという任務を負わされたのだ 。

芸術生産と、さらに重要な芸術批評の歴史におけるこの移行は、ヨーロッパの危機が当然かつ不可避の結果としてアメリカのグローバルなヘゲモニーをもたらした、と描き出す多面的なイデオロギー的操作のひとつの側面にすぎない。

アントニオ・ネグリ マイケル・ハート 『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 』以文社 2003年

2007/11/17 土曜日

飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か

Filed under: 引用 — nomad @ 21:40:03

厳粛な綱渡り『ルモンド』紙は記事の冒頭に、<私は絶望していないし、いつわって旧作を否認するものではない>というサルトルの言葉をかかげている。すなわち『ルモンド』紙もおそらくサルトル自身も、そのあたりをインタビューの中心だと考えたわけであろう。しかし反響はそこからはずれたところに集中することになる。まず、ぼくはこのインタビュー記事を自由に要約しながらその全体のイメージを描きたい。 (more…)

2007/11/8 木曜日

おそらくここに、現代芸術の秘めている危険性の第一の理由がある

Filed under: 引用 — nomad @ 15:14:50

〈帝国〉とその彼方―アントニオ・ネグリ講演集上 (ちくま学芸文庫 ネ 2-1)戦争と平和のこのような世界的交配のなかにあって、「芸術意志」および美的行為の生産とは何を意味するのだろうか。経験の新しい態容がいずれの側に与することも拒んでいるとき、芸術はどこに帰属させるべきなのか。哀悼と幻滅の思考の貧弱なドラマトゥルギー〔作劇法〕に反対している現代の芸術家にとって、「戦争への戦争」、<戦争>に対抗する<闘争>とは何を意味するのか。美的なものを感受する能力がスペクタクルの時代の暴力全体をその狂気じみた持続性において生産する 無差別の表現にもとづくほかないのは、明らかである。そのときには、芸術家は絶対的な交配を通過せざるをえなくなる。芸術の自律性が生の潜勢力の他律性に触れた瞬間に深淵に落ちこんでしまう、現在へのこのような浸透を通過せざるをえなくなる。たんなる手段の領域に住みながら、単独的なものをそれがなんであれすべて受けいれることによって、芸術家は平和と戦争が走馬灯のように入れ替わる状態から脱却し、もろもろの事物の身体のうえに刻みこまれているそれらに共通の記号を浮き彫りにしはじめるのである。識別できないもののこの不透明な領域に身を投じることによって、芸術家は、偽りの社会的平和の感覚的証明の体系を破壊しつくしてしまうような<戦争>に対抗する<闘争>のなかで、自分のものでなくなってしまった政治の体制を自分のものに取り戻すのである。おそらくここに、現代芸術の秘めている危険性の第一の理由がある。現代芸術は、語ることのできるものと見ることのできるもの、現れ出ることと存在することと制作することとのあいだの関係の政治的な含意を規制しているもろもろのアイデンティティの分割に、直接自らを適用させているのだ。本当の意味で制作をおこなう、すなわち、アカデミズムによる媒介の外にあって制作するためには、それが転倒させるために暴露しようとしている当のものの生起のなかに、したがって「ニヒリズムの試練を生が通過する」(ジョルジョ・アガンベン)その内部と事後とに、身を置くことができなければならないのである。このトピックは、芸術作品の概念の拡大をつうじてのイメージのヘゲモニー的なメディア体制に対応したものである。そして、芸術家を他の職種から区別させているものが、(いまだ世界のかたちをなしていないもの)の表現から、感覚の質料へとカオスモスの雨を降らせることをつうじて、新しい可能な世界の構築を引き出そうとする努力にあることを教える。世界の美的カテゴリーとしての可能なものの経験は集合的な<いまだ世界のかたちをなしていないもの>から自らを物質的に引き抜くことをつうじて作品をつくることはしないというのが、芸術の現代的体制の特徴をなしているのである。作品をつくることをしないでいることこそが、あらゆる代理表象的なアイデンティティの外にあってわたしたちがしている単独性への手続き的な跳躍の可能性へと反転するのであってみれば、である。もはや共産主義的未来の美的先取りというかたちで表象することのできないようなこの立場を展示してみせること、戦争にたいして平和を過剰に露出させるなかで感覚的なものが崩れ落ちていく状況に自らをさらすこと。これこそは芸術の新しい方向である。芸術は、もはやなんらかの平和の存在の記憶に依拠することはできないでいる戦争にたいして異他的であろうとする共通の機械のなかにあって、自らの差異をたどっていくのである(自らの「行為」をひとつの「自由」として考えることの不可能性。平和は、もはや、世界のメディア的イメージに対抗する「戦争の最前線」における実存として以外には手にいれることはできないのだ。) (more…)

2007/11/7 水曜日

進行する限りにおいて完成され続ける純粋なる<過程>

Filed under: 引用 — nomad @ 18:59:04

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)この世界においては、(たとえ、融資の構造によるものでないしかとしても)、学者や技術者や、それに芸術家さえ、のみならず科学と芸術そのもの自身が、極めて強力に既成主権に奉仕しているのであるが、こうした世界において、何故にかくも芸術や科学が頼りにされるのか。その理由はこうだ。芸術がそれ自身の偉大さやそれ自身の天才に到達するや否や、芸術は脱コード化や脱土地化の連鎖を創造するが、これらの連鎖は欲望する諸機械を設立し作動せしめるからである。絵画におけるヴェネチア派の例を取りあげよう。ヴェネチアに大きな自治を許した《原国家》の領域内で、ヴェネチアは最も強力な商業資本主義を発展させているが、この時には同時にその絵画は明らかにビザンチンのコードの中に紛れこんでいる。このコードにおいては、色や線までがひとつのシニファンに従属し、このシニファンが、ひとつの垂直の秩序として色や線の位階秩序を規定している。ところが、十五世紀の中ごろに、ヴェネチアの市販主義が衰退の最初の兆候に直面することになると、何ものかがこの絵画の中で粉微塵に砕け散ることになる。新しい世界が開かれ、別の芸術が現れるといっていいかもしれない。この別の芸術においては、種々の線は脱土地化し、種々の色は脱コード化して、これらの線や色はもはや、そのそれぞれ自身がそれぞれの間で相互に維持している関係をしか指示しないことになる。逃走〔漏出〕線あるいは突破線とともに、絵画の水平線的あるいは横断的な組織が生まれてくることになる。キリストの身体は、あらゆる方向にひきのばされて、あらゆる部分であらゆる仕方で機械として扱われ、器官なき充実身体の役割を演ずることになるが、この器官なき身体は、欲望の一切の諸機械がとりつき付着する場であり、芸術の喜びが爆発する<サド – マゾヒスト的>活動が行われる場なのである。いくたりかの<同性愛のキリスト>さえもが、現れる。種々の器官は、器官なき身体の直接の力となり、この身体の上で種々の流れを発するが、聖セバスチャンを射殺したかの無数の矢のような、数えきれないほどの切口が現れて、これらの流れを次々と切断しては、また切断し直して、別の種々の流れをうみだしてゆくことになる。種々の人物や種々の器官は、位階秩序をもった共同の備給に従ってコード化されることをやめるのだ。それぞれの人物や器官は、それ自身で価値のあるものとなり、それ自身の仕事につくことになる。こどものイエスが一方をみつめているときに、処女のマリアは他方に耳を傾ける。イエスは一切の欲望する子供たちに、マリアは一切の欲望する女たちにかかわりをもつことになる。瀆神の喜ばしい活動が、私企業化の一般化する事態のもとで拡がってゆく。チントレットのような画家は、世界の創造を長いレースとして描いているが、ここでは、《神》自身はこのレースの最後列にいて、右から左へと出発の合図を与えている。突然、十九世紀のものともいえるような、ロットの絵画があらわれてくる。もとより、こうした絵画の流れの脱コード化は、つまり欲望する諸機械を地平線に形成するこれらの分裂気質線は、古いコードの断片の中に再び戻されることになるか、でなければ新しいコードの中に、そして何よりもまず本来の意味での絵画の公理系の中に導かれるか、することになる。この絵画の公理系とは、種々の逃走〔漏出〕に対して柵をつくり、絵画全体が線と色との横断的諸関係に入る道を閉ざして、この絵画全体をアルカイックな土地や新しい土地の上に折り重ねる働きをするものである。(例えば、遠近法がそうである)。だから、たしかに、脱土地化の運動は、土地の裏側としてしか捉えられないということになる。このことは、たとえこの土地が、残余の、あるいは人工の、あるいは構造の土地であってさえ、そうなのである。しかし少なくとも、何ものかは生起したのだ。そしてそれが、コードを決壊させ、シニファンを破壊し、構造の下を通って流れを通過させ、欲望の極限において切断を行うというわけだ。つまり、ひとつの突破口があらわれたのだ。十九世紀が既に十五世紀のただ中に存在するというのでは十分ではない。何故なら、こんどは、十九世紀について同じようなことをいわなければならないであろうからである。また、こうなると、解放された奇妙な種々の流れを既に自分の下にもっていたビザンチンのコードについても、同じようなことをいわなければならなかったのだということにもなる。われわれは、既に画家のターナーについて、またかれの絵画について(つまり、ときには「未完成」と呼ばれてはいるが、じつは最も完成しているかれの絵画について)、このことをみてきた。天才が存在するや否や何かが起こるのだ。もはや、いかなる学派にも、いかなる時代にも属することなく、ひとつの突破口を開く何かが存在することになるのだ。──目標をもたない、<過程>としての芸術が。しかしそうしたものとして完成している芸術が。 (more…)

2007/11/6 火曜日

遊離した創造は嫌いだ

Filed under: 引用 — nomad @ 22:09:12

神経の秤・冥府の臍他の連中は作品を差出すがいい、私はここに私の精神以外のなにものをも示す気はないのだ。

生きるとは、もろもろの問を燃えあがらすことだ。

私は作品を生から遊離してあるものとは考えない。

私は遊離した創造は嫌いだ。私はまた、精神がおのれ自身から遊離してあるものだとも考えない。私の作品の一つ一つ、私自身のさまざまな面の一つ一つ、私の内なる魂の氷室の開花の一つ一つが、私に対して悪態をつく。

私は、わが内部に生じる狭窄や、わが生の理不尽な去勢について説明するために書く手紙の中にも、また私自身の外部にあって、惰性的なわが精神的なわが精神の妊娠と見えるエッセーの中にも、等しく私そのものを見出す。
私は精神が生の中になく、生が精神でないことに苦しむ。私は、器官にすぎぬ精神、解釈にすぎぬ精神、事物脅喝者にすぎぬ精神を、なんとかして精神そのものの中に入れようと苦心惨胆する。

この本を、私は生のまっただなかに宙ぶらりんにさせてやろう。私はこれが、外部の事物によって、そうだ、何よりもまず、あらゆるヤットコの跳躍や、来たるべきわが自我のすべてのまばたきによって、噛みつかれることを願う。
これらのページはすべて、精神の中を氷塊のように徘徊する。わが絶対の自由を許されよ。私は私自身のいずれの十秒をも区別することをみずからに禁じる。私は精神に局面というものを認めない。

文学と同様精神とも手を切らねばならぬ。私が言っているのは、精神と生とは、あらゆる度合いで伝達するということだ。私はねがわくば人びとを狼狽させるを作りたい。ひとつの開かれた扉であり、人々が決して行きたがらなかったはずのところへかれらを導く扉であり、つまり単純に現実に接している扉である本を。

かくてこれは、一冊の本のための単なる序文ではないし、さりとてたとえば、本の中にずらずら並ぶ詩篇でも、 不快のあらゆる激怒の列挙でもない。

これは、ひどく呑みそこねた一個の氷塊にほかならない。

アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍』現代思潮社 1971年

2007/11/5 月曜日

芸術論の可能性の枯渇の期日を新たに設定することに耐えなければならない

Filed under: 引用 — nomad @ 20:45:18

ラディカルな意志のスタイル現代の芸術家は二つの様式によって沈黙を擁護する──声高の様式と静かな様式と。

声高の様式は、『充満』と『真空』の不安定なアンチテーゼに関する機能である。充満についての感覚的、陶酔的、超言語的理解が脆弱であることは周知のことだ。充満は、わずか一瞬にして崩れ去り、否定的沈黙の真空の中に突入することができる。危険をあえて冒しているということを十分承知の上で(精神的嘔吐について、さらに狂気についての危険)、この種の沈黙の声高の擁護は、逆上した、一般化しすぎたものとなりやすい。それはまた、しばしば黙示録的であり、あらゆる黙示録的思考の侮辱に耐えなければならない。すなわち、終局を予言すること、その日が来るのを見、その日を生き延び、そしてさらに、意識の焼却、言語の決定的な汚染、芸術論の可能性の枯渇の期日を新たに設定することに耐えなければならない。 (more…)

2007/11/4 日曜日

新しい生を創造することができなければならない

Filed under: 引用 — nomad @ 23:15:14

<帝国>  グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 対抗的である人びとは、みずからの人間的条件の局地的かつ個別的な制約から逃れながら、さらに新しい身体と新しい生を構築することをたえず試みなければならない。こうした試みは必然的に暴力的で野蛮な移行であるほかないが、しかし、それはヴォルター・ベンヤミンの言うように、能動的な野蛮である。「野蛮? そのとおりである。われわれは、ここで、野蛮という言葉に新しいポジティブな概念を導入しなければならない。経験の貧困に直面した野蛮人には、最初からやりなおしをするほかない。」新しい野蛮人は、「何ものをも持続的とは見ない。しかし、それゆえにこそかれは、いたるところに道が見える。他の人びとが壁や山岳につきあたるところでも、かれは道を見いだす。だが、いたるところに道が見えるので、彼自身はつねに岐路に立っている。いかなる瞬間といえども、つぎの瞬間がどうなるのか、分からない。既成のものを彼は瓦礫に返してしまうが、目的は瓦礫ではなくて、瓦礫の中を縫う道なのだ 。新しい野蛮人たちは肯定的な暴力をもって破壊を行い、自分自身の物質的な存在を介して新しい生の道筋を見つけ出すのである。 (more…)

2007/11/3 土曜日

こうした管理が革新や経済発展を阻害する

Filed under: 引用 — nomad @ 15:39:55

マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)二つ目の例は、破壊的な影響力をもつ政治的・経済的管理の形態を廃止するという提案だ。たとえばサイバネティクスやインターネットの領域では先に見たとおり、著作権という形でのアクセスや情報、アイディアに対する管理が日増しに創造力や革新を阻害している。またたびたび指摘したように、医療品や知識、遺伝物質、さらには生命 – 形態にいたる多種多様なものを管理する特許についての異議申し立ては、今や無数に存在する。 (more…)

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