新しい生を創造することができなければならない
対抗的である人びとは、みずからの人間的条件の局地的かつ個別的な制約から逃れながら、さらに新しい身体と新しい生を構築することをたえず試みなければならない。こうした試みは必然的に暴力的で野蛮な移行であるほかないが、しかし、それはヴォルター・ベンヤミンの言うように、能動的な野蛮である。「野蛮? そのとおりである。われわれは、ここで、野蛮という言葉に新しいポジティブな概念を導入しなければならない。経験の貧困に直面した野蛮人には、最初からやりなおしをするほかない。」新しい野蛮人は、「何ものをも持続的とは見ない。しかし、それゆえにこそかれは、いたるところに道が見える。他の人びとが壁や山岳につきあたるところでも、かれは道を見いだす。だが、いたるところに道が見えるので、彼自身はつねに岐路に立っている。いかなる瞬間といえども、つぎの瞬間がどうなるのか、分からない。既成のものを彼は瓦礫に返してしまうが、目的は瓦礫ではなくて、瓦礫の中を縫う道なのだ ((最初の文章は、Walter Benjamin, “Erfahrung und Armit,” in Gesammelte Schriften, ed. Rolf Tiedemann and Hermann Schweppenhä
ussen (Frankfurt: Suhrkamp, 1972), vol. 2, pt. 1, pp. 213─210. 引用は p.215から〔ヴァルター・ベンヤミン/高原宏平訳『暴力批判論』「経験と貧困」ヴァルター・ベンヤミン著作集1、晶文社、1969年、97─109頁、引用は101頁 〕. 2番目の文章は、Benjamin. “The Destructive Character,” in Reflections, ed. Peter Demetz (New York: Schocken Books, 1978), pp. 302─303〔同/野村修訳「破壊的性格」『暴力批判論』岩波文庫、1994年、244頁〕.)) 。新しい野蛮人たちは肯定的な暴力をもって破壊を行い、自分自身の物質的な存在を介して新しい生の道筋を見つけ出すのである。 (more…)
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